☆福山城の歴史を訪ねる
☆福山城跡
☆筋鉄御門
☆伏見櫓
☆月見櫓
☆鐘櫓
☆湯殿
☆福山城 通称 久松城、葦陽城
城郭構造 輪郭式平山城
天守構造 複合式層塔型5重6階(1622年)
築城主 水野勝成
築城年 1622年
主な改修者 阿部氏
主な城主 水野氏、松平氏、阿部氏
廃城年 1874年
遺構 櫓・門・鐘楼、石垣
指定文化財 国の重要文化財(伏見櫓、筋鉄御門)
国の史跡
福山市重要文化財(鐘楼)
再建造物 天守、月見櫓、筋鉄御門、御湯殿
☆福山城は江戸時代初期、元和偃武の後に建造された近世城郭で最も新しい城である
(厳密には赤穂城や松前城など福山城より後に築かれたものもあるが、慶長期から続
く近世城郭の体系に含まれる大規模な新規築城では最後としてよいだろう)。
元和5年(1619年)、関ヶ原の戦い以降備後国・安芸国の二国を治めていた福島正則
が武家諸法度違反により改易されたことから、 徳川家康の従兄弟である水野勝成
が毛利氏など西日本の有力外様大名に対する抑え(西国の鎮衛)として備後国東南部と
備中国西南部の計10万石を与えられ、大和国の郡山藩から転封する。入封時の領地
目録上は備後神辺城主であったが、神辺城はやや内陸にあり過去に何度も落城した
歴史があったことなどから、一国一城令が徹底されていたこの時期としては異例の
新規築城が行われることになったといわれる。
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